「篤さん」
そう呼ぶ声が聞こえたような気がした。
誰だ!? 俺を名前で呼ぶ奴は。
何だか 聞きなれた声・・ 落ち着く声のような気もする。



病院の集中治療室の前には 堂上班及び玄田三監、柴崎が 集まっていた。
小牧と手塚は 今にも崩れ落ちそうな郁を両脇から支えている。

「あ・・あたしのせいで 堂上教官が・・いやぁ・・」
「分かったから 落ち着いて」
小牧の声も聞こえているのか聞こえていないのか
「あたしを庇って・・ 教官 死んじゃいやァ・・」
もう泣きじゃくるだけ。

玄田が
「ここじゃ どうしようもない。あっちに連れて行って落ち着かせろ」
と指示する。
小牧と手塚に連れられてその場から離されそうになると なお更抵抗して 
「一緒にいさせてー いやー ここにいるー」
「笠原さん!」
小牧がいつになく 大きな声で諭す。
「騒いだところで あいつが助かるとは限らないんだぞ」
その言葉に 体がビクッと震える。
助かるとは限らない・・ もう郁は限界だった・・

「分かりました。おとなしくしていますから ここに居させてください・・」
弱々しくそう言うと その場に倒れてしまった。



その日 堂上と郁は 二人で哨戒中に どうみても怪しい男達に囲まれている少女を見かけた。
郁はとっさに 助けなきゃ と走り出す。
「それは警察に任せて・・」
堂上の声も聞こえていないようだ。
堂上は 警察に通報すると 郁を追いかけた。

そして ナイフを持った男に刺されそうになった郁を庇って 堂上が刺されたのだ。
男達は逆上し 何度もナイフを振りかざした。
堂上が何度刺されたのか分からない。
気がついたら警察が 男達を取り押さえていて 救急車の要請をしていた。
郁は その後の記憶が全く無い。
気がついたら 自分も病院に居て 堂上は集中治療室に居るという。
目の前が真っ暗になった。
どこをどう歩いて そこにたどり着いたのか分からない。
集中治療室の前に行くと いつもの仲間達が心配そうに その場に集まっていた。




「堂上教官」
今度はそう呼ぶ声がする。
あれ?さっきの声と似ている。 そう思って見ると 郁がそこに笑顔でこちらを見ている。
「ああ やっぱりお前だったか」
そう言うと 
「篤さんって呼んでも 返事もしないんですもん」
と言う。

ん?篤さん・・ お前いつから 俺をそう呼んでいるんだ?
どうもヘンだ。
しかし 目の前の笠原は いたって穏やかに 俺を見て 微笑んでいる。

「笠原」
そう言ったとたん 郁は
「また間違ってるー」
と口を尖らせる。その仕草がまた いつになく可愛い。
「篤さんって 私に名前で呼べってしつこく言うクセに そうやっていつも間違うんだから」
間違うとは どういう事だ!? 郁とでも呼べばいいのか?
俺は 悪いが 報道陣から奴を助けた時以外 名前で呼んだことは無いハズだが・・

よほど難しい顔をしていたのだろう。
郁は 心配そうに寄って来て 
「だってもう 笠原郁じゃないでしょ」
と さらに不可思議な事を言う。
そして 見たことも無いくらい 艶かしい顔で 
「・・もう堂上郁になったでしょ」
その恥じらいのある顔が 俺を誘っているかのようだ。

な、何? 堂上郁!? どう言う事だ。俺達いつ結婚した!?
確かに こいつを愛おしいと思っていた。
いつの日か そう名のってくれる日が来ればいいとは 思ったこともあった。
これは何だ 夢なのか。
そうじゃなきゃ おかしいぞ。

郁は
「篤さん」
と何度も呼んでくれ 俺達は 何だかとても 幸せだ。
このまま こうしていたい・・ そんな気になってくる。
そう ずっと このまま・・
状況はヘンかもしれないが この幸せを無くしたくないと思ってしまう。
「郁・・」
そう呼ぶと そこに居る郁は 俺をどんどん記憶の深いところへと連れていく。




集中治療室の前で 医師が説明を始めていた。
「今晩から明日が峠になるでしょう」
出血が酷く 傷も深い。
かろうじて臓器の破損が無いことから もしかしたら奇跡的に すぐに回復する可能性もある。
そんな話だった。
臓器の破損は無いとは言え 確実に5ヶ所は刺されていると言う。
その2ヶ所が 危ない場所で 手術が困難を極めた。
手術は成功して 集中治療室に入っては居るが 予断は許さない。

それを聞いて 郁は再び記憶の線が切れた。


どれくらい眠りについていたのか・・
郁が目を覚ますと そこは病院の一室のようだった。
私・・ 
嫌な予感がして 急に不安になる。
胸が締めつけられる想いだ。
「目が覚めた?」
見ると 柴崎が心配そうにこっちを見ている。
「堂上教官!」
急に思い出したかのように 反射的にその名が口から出た。
そうだ! 教官 私の身代わりで刺されて・・

「柴崎・・ 堂上教官・・は?」
恐る恐る聞いてみる。
柴崎は ちょっと切なそうな顔をしながら 
「大丈夫よ。そんなに易々くたばってもらっちゃ困るわよ」
それを聞いたとたん 体が勝手に動いていた。
「笠原!」
後に 柴崎の郁を呼ぶ声が聞こえる。


病院の廊下は走らないで・・そんな事 構っちゃいられない。
堂上教官 死なないで・・今はそれだけ。

集中治療室の前に行くと ずっとそこに座りっぱなしなのだろう 小牧が居た。
大事な友人のこんなことは 何度経験しても 辛い物だ。
いつもの笑顔は無く 見たことも無いような怖い顔をして一点をみているようだった。
「笠原さん」
郁に気付いて 声を掛けてくれる。
「堂上教官は・・?」
「まだ分からない」
重い空気が流れる。




「篤さん こっち こっち」
呼ぶ声に 気持ちも穏やかになって 引き込まれていく気がする。
「ああ 今行くよ。そんなに急かすなって」
笑いながら答える。
声は郁のような気がするのだが やっぱりどうもおかしい。
ふと 聞いてみたくて
「おまえ 笠原じゃないだろう」
と 問いかけてみた。
すると そう言われた相手が 悲しそうに堂上を見つめる。
「なぜ そう思うの?」
そんな悲しそうに見られると 顔が郁に見えるだけに 余計辛くなってくる。
「いや・・ 気にするな。 ちょっとからかっただけだ」

とても フワフワしていて 気持ちがいい空間だ。
ずっとずっと このまま。
本当に そんな気がしていた。




集中治療室の前が 急に慌しくなっていた。
何?何が起きているの? 胸が締めつけられる。堂上教官・・ 
呼ばれたのだろう医師が急ぎ足でやって来たのを見て 郁は
「お願いです。中へ入れて下さい。お願いします」
頭を下げる。
「そう言われても 中で取り乱されたらそれこそ困りますから」
と 言われる。
「お願いします。もうこれっきり会えなくなったら 後悔すると思うんです。会わせてください」
「皆さんそうおっしゃるんですがね・・」
医師は 眉間にシワを寄せて 困った顔をする。
小牧が
「私も一緒に入りますから。なにかある前に 対処しますので」
と加勢してくれる。 ありがたい。

よっぽど危険な状態なのだろうか。
医師が そこまで言うならと 許可してくれたので 郁と小牧も 衛生面の仕度をしてマスクをして中へ入る。

そこで見たものは・・
倒れそうな自分を励まし 郁は堂上に声を掛ける。
「堂上教官。私です 笠原です。私は大丈夫です。教官 戻って来てください!」
そう言って手を握る。
握った手には 何の反応も無い。
涙が頬を伝う。 教官・・ その手をギュッと握り締める。
「堂上教官 目を覚ましてください!」





フワフワとしたいい気持ちでいると どこからか
「堂上教官」
と声がした気が・・・
前に居る さっきから俺を「篤さん」と呼ぶ人からでは無い声がする・・
笠原か!?
「堂上教官!」
また聞こえてくる。
間違いない 笠原の声だ。
俺の大好きな 大切な笠原の声が聞こえる。
でも どこから・・・

さっきまで話していたつもりだったのに 声を出そうとしても 声が出ない。
どうしたんだ俺。

そして 少しずつ思い出されてきた。
そうだ。
少女を助けようとして ナイフを振りかざした男から郁を庇った。
その瞬間 背中に痛みを感じた。刺されたか!?
何人かと 取っ組み合いになったような気がする。
そして また刺された。
笠原が「教官!」と叫んでいた声は覚えているような気がする。

では 今は どうしているのか!?
不思議と痛みも何も無い。
フワフワとした場所を漂っているかのようだ。
声も 頭に思い それが相手に伝わっているかのようだ。
郁のような そいつは 俺をみて 悲しそうに笑っている。
そして
「あなたは まだここへ来る人では無いようですね」
そう言うと 今まで笠原の顔をしたソレは キリのように消えていった。
残された俺は その空間に ただ漂うだけ。

「堂上教官!目を覚まして!」
笠原の涙声が聞こえてきた。
声のする方を見ると どうやらそこは病院の一室。
なにやら医師や看護師が忙しそうに動いている。
ベッドに寝ている奴を見て ギョッとする。
「なっ、俺じゃないか!」
何だ?俺は死んだのか? そんな筈はないよな。
そこに見える光景は ドラマでよく目にする光景だ などと思いながら眺めた。

するとまた
「教官!返事して!笠原って怒鳴って!」
嗚咽とともに 今にも崩れそうな郁を 小牧が支えている。

とっさに 戻らなければ!!
何がどうとか そんなんじゃない。
戻らなければ その場所に。そう思った。
そう思った瞬間 堂上の記憶が切れた。




郁の握っていた堂上の手が 逆に握り返してきた。
「教官!?」
郁もまた握り返す。
「小牧教官!手が・・手が・・」
そう言って 握った手を見せる。
小牧の表情が これは!と輝きをもち 郁を見て頷く。
「先生」
そう言うと 医師も こちらを見て頷くと
「どうやら 峠は越えたようです。よほど大切な物がまだこちらの世界にあるようですな」
と言って微笑んでくれた。




それから どれくらい眠っていたのだろう。
堂上が目を覚ました時は 集中治療室を出て 個室に入っていた。
起き上がろうとすると 痛みが全身に走る。

やっぱりアレは夢か・・
あの時は 確かに痛みも何も無かった。
とすると あの人は誰だったのか・・
俺の願望!?笠原と一緒にいたいという 俺の・・
でも死んでしまったら 一緒にすら居られないじゃないか。
生きて帰って来れて 良かった。

ベッドのきしむ音に気付き 付き添っていた柴崎が声を掛ける。
「堂上教官。笠原を・・笠原を直ぐに連れてきますから」

別の部屋で寝かせられていた郁に 
「堂上教官が目を覚ましたわよ」
と教えに行く。
目から大粒の涙がこぼれる。良かった・・ このまま会えなくなっていたら 私・・きっと後悔してた。

郁を連れて戻った柴崎は中に郁だけを入らせて ドアを閉めた。
ガンバレ 笠原。
この先は あなた達次第よ。


                                           fin.

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深い夢の底から